物価の違いが大きい

4年振りに日本に帰って思ったのは、日本の物価が安いこと。物販や飲食は本当に安く感じる。飲食では入ったところが安いのかもしれないけど、街中のチェーン店のどんぶり丼で500円~600円ぐらいで食べられるので「これは安い」と思った。オーストラリアでは考えられない。


物販もオーストラリアと比べたら一応に安い。これも買うところに因るかもしれないけど、スーパーとかで買うと殆どの物がオーストラリアの半額ぐらいで買える。ダイソーとかで買うと「これでどこに利益が出るのだろうか?」と不思議になるぐらい。異常に安いと感じる。


もちろん、オーストラリアと日本では給与が違うので比較は出来ないけど、時給で3000円以上の国と平均で1200円~1300円の国では そりゃあ、物価は当然違って来るのは当たり前なんだけど、しかし、これじゃオージーが日本に行って喜んじゃうのは無理もない。物価が安すぎるもん!


最近、日本では物価高騰で大変と騒がれれいるけど、欧米などの諸外国に比べたらまだまだぜんぜん物価は安い。日本にいるから気が付かないだけで、オーストラリアに来たらびっくりすると思う。必然的に今の日本人旅行者はこのオーストラリアの物価でまずびっくり仰天、お買い物も当然引いてしまい、こちらとしても非常に辛い日々が続いている。

ケアンズに戻る

昨日、1週間ほどの休暇で戻っていた日本から帰って来た。夜明け前の4時過ぎにケアンズに着いて家で少し休んだ後、10時開店に合わせて店に行きそのまま仕事をこなして長い1日が終わった。この日、作れた売上はほんの僅かで寂しかったが、とにかく店を開けなければと1週間空けた分を少しでも取り戻したいと、何しろ気持ちだけが先に向かって焦ってしまった。


しかし、日本は暑かった。海の日の祝日は都心でも37度近く温度が上がって、「日本の7月ってこんなに暑かったっけ」と久々に日本の夏を過ごしたが暑すぎて「やっぱり日本に帰るなら秋か冬がいいかな」とこの時期は敬遠したくなった。でもこんな暑い時でも近くにある銭湯には2回も行ってしまった。


家では88歳になる父親の要望で普段出来ないことをこなした。庭には父親が昔に作った池があり金魚がいる。その苔で緑に染まった池の掃除や6年前に母親が亡くなってから1度も干してないという布団を屋根に担いで上がって炎天下での布団干し、一番しびれたのは出発当日に頼まれた庭回りのボウボウに伸びた雑草毟り等々。


お陰でその日最後に挨拶するはずだった母親のお墓には出向けなくなってしまった。出発前日は枕を洗って壊してしまった代替の洗濯機を買いに駅前にある電化製品の量販店に行って即座に購入、無理を言ってその日の夕方に配達して貰い、さらに取り付けまでしてもらって尋常一様に外れた日本のサービス度の凄さをあらためて実感した。


妹が実家に寄った日には3人で行った墓参りで母の墓前に手を合わせて「お父さんよろしくお願いします」と父親が元気でいるように頼んだ。墓石は灼熱の太陽が照り付けていて「お母さんもこれでは暑いのでは」と何度も柄杓で棹石に水をかけてあげた。アッという間に過ぎた1週間だったけど、帰り際、玄関先で父親と「じゃぁ、元気で」と軽く挨拶を交わして、再び戻って来る2年後の祖国を後にした。

明日、日本に帰国

明日の朝のフライトで日本に帰る予定、何だか日本は今ものすごく暑いようで、やっぱりせっかく帰るなら本当は冬のクリスマスの頃に帰りたかったけど仕方ない。4年振りの里帰りでずいぶんと長く日本に帰国出来なかったけどやっと帰れる。着いたらまず母親の墓前に手を合わせたい。


今回の帰国の一番の目的は父親に後2年ケアンズにいて頑張りたいという事を顔を合わせて報告すること。父親には今年いっぱいでケアンズを引き上げて日本に帰ると約束していた。コロナで作ってしまった借金を返すためにここに留まって何とかその借金を返済したいということを言わなければいけない。


時給が千円ちょっとの国ではなかなかこの借金は返せないのと、そもそも60歳の自分にまともな仕事がオーストラリアのように無いことがケアンズに留まる要因だと伝える。もう一つはやっぱり今やっている仕事が好きだという事。これが一番の要因かなとも思う。天国にいるおふくろはこの決断について何て言っただろうか?


日本に着いたら父親が元気ならどこか温泉にでも行ければ良いと思うけど無理かなぁ...
でも食事ぐらいはいっしょに行って美味しいものを食べたいと思う。親父ともこの先どれだけ思い出が作れるか分からない。たぶん、もうそんなに出来ないだろうと思うし。妹も着いた次の日に実家に寄ってくれることになっている。1週間だけど家族で思いっきり楽しみたい。