ラストスパート

オーストラリアは6月末が決算月でファイナンシャル・イヤーと言うんだけど、ここで1年の締め括りになる。今期も残念ながら赤字だったが昨年、一昨年のような大幅な赤字では無かったのでビジネスとしては確実に上向きに向かっていると言った感じ。まぁ、赤字は赤字なのでそこはしっかりと受け止めなければいけないけど。


2020年の7月期からの売上表の数字をあらためて見返してみると、その時の苦しかった思い出が蘇って来る。この時は夕方の5時に店を閉めて掃除の仕事に行っていた。売上が0の日もけっこうあって「苦しかったなぁ」と当時を振り返りながら、ひと月で3千ドルぐらいしか作れなかった頃の苦い思い出がこの時の数字で思い出された。


懸念材料の1つである円安の影響も響いてか6月同様、7月に入っても相変わらず厳しい状況は続いている。ただ、そんな中でもたくさんお土産を買ってくれる1日のうちで何組か訪れる数少ない日本人のお客さんに救われて何とか今は首の皮は繋がっていると言った感じだけど、これが続けばこの先は本当に分からないので毎夜、寝付かれない日々が続いている。


先日の日本のニュースでこの夏休みに海外旅行に出る人はコロナ前の4割ほど回復していると報道していた。「まだ、4割かぁ...」と思いながらも今年の夏休みこそはたくさんの旅行者が来るのではと大きな期待に胸を膨らませている。13年間慣れ親しんだこの店とももうすぐお別れ、ラストスパートを切った全力疾走が始まった。

4年振りに日本に帰国することに。

4年振りに日本に帰ることになった。来月の7月12日から1週間ほど里帰りすることに。このタイミングがベストかなと思って航空券を手配した。19日早朝にケアンズに帰って来る予定でそのまま朝から仕事に行くという強行日程。その日はたぶんヘロヘロで仕事していると思う。


自分がここに残ることでやっぱり父親がショックを受けてしまった。妹が実家のある藤沢に寄った際に父親に「お兄ちゃん、もう日本に戻って来ないよ」と言ってがっかりしてしまったそう。その後、父親と電話で話した時も「2年経ったら日本に戻って来るんだろ?」と念を押していた。


自分は妹と電話で話した時に「あの家はもし親父が処分したいなら自分は拘らない。あの家が無くなっても自分は構わないよ」と言ったことで、妹がもう日本に帰って来ないつもりだと今回父親に伝えた。当の父親は自分がいつか帰って来るのでこの家は残して置きたいと今も思っている。


この事をちゃんと父親に説明しなければいけないことから、急きょ、忙しくなる前の夏休みが始まる7月20日までに戻って来るようにスケジュールを組んで決めた。2年後には日本に帰国出来るようにと決めていたので、そのことは父親にも今回ちゃんと話そうと思っている。自分は日本には帰るつもりでいると。

本調子に戻らない

風邪を拗らせてから2週間近く経つ今も、かみさんの調子はどういう訳か良くならない。
昨日も夜中から咳がずっと止まらずに寝れなかったと今朝も起きた後にぼやいていた。確かに咳が出だすと止まらずに今も苦しそうにしている。いったん出だすと咽るように咳き込んでそれがずっと続いている。


咳だけではなく耳鳴りもするらしい。特に左の耳が聞こえないと言っている。夜、暗い中でベットから起きてトイレに行くと耳鳴りのせいでまっ直ぐに歩けずにトイレの横の壁に当たると言う。ちょっとおかしいというか、だいぶおかしいじゃないかと思うけど一体どうしちゃったのだろうか?


先日、かかりつけの医者に診てもらった時には咳は異常ないと言われたそう。しかし、かみさんの友達もみんな心配して中には「やっぱり更年期なのかなぁ」と言ってる人もいたけど、60を手前にして更年期なんかまだあるのかなぁとも思ったけど。ふらふらするのは血圧も関係しているのかもしれない。


普段は血圧が通常の人より低めのかみさんだが、その血圧も今回計ったら上が140もあったそうだ。今はそれをすごく気にしていて毎朝、起きると血圧計でチェックしている。あんたもやってみると言われて やってみたら上が129もあったので、これは自分も気を付けなくちゃなとあらためて感じた。