期間は2年

今週の始めに借りている店舗のオーナーがケアンズに来て今後について話し合い、この場所を8月いっぱいで出ることをオーナーに伝えた。今後の家賃については自分がオファーした金額を先方も受け入れて落着、13年間やって来たこの場所を遂に去る時が来た。これで3度目の移転が決まった。


この場所はもう人通りも少なく以前のように日本人の旅行者が挙って歩く通りではなくなってしまった。そこに加えてコロナ前とほぼ同額の家賃を提示されては、勿論それを払える訳もなく出ざるを得ないというのが当然の成り行きだった。自分とかみさんで店のレイアウトを作った場所なので愛着が無いと言えば嘘になるが、これも時代の流れとして受け入れるしかない。


このエリアの象徴だったルイヴィトンでさえ今月の末で閉店することに。観光客に特化した小売り業は今、大きな転換期を迎えている。市内で生き残ったお土産屋さんは本当にごく僅かになってしまった。この先どうなって行くのかは分からないけど、暫らくはここでやって行くと決めた以上今はその先を見据えるしかない。


次の移転先は決まっている。同じ市内だけど今度の店舗はめちゃくちゃ小さい。実に今の店舗の4分の1のスペースしかない。市内の日本人も含めた旅行者を巻き込めるところで家賃が安いのを選ぶとなると、それはもうこうした小さいところしか借りられないのは当たり前。果たしてそんな場所でやっていけるのかどうか、挑む期間は2年。

ヴィヴィッド

今朝、かみさんは友達といっしょに真冬のシドニーに遊びに行った。そこで5日間ほど滞在する予定になっている。何故にそんな寒いところにわざわざ遊びに行くのかというと 、この時期にシドニーでは光と音と発想の祭典「ヴィヴィッド」が催されているからなのだ。特にオペラハウスに映し出される光の映像はテレビで見ただけだが本当に素晴らしい。


光の映像も然ることながらミュージシャンによるコンサートも各地コンサートホールやライブハウスなどで異様に盛り上がるらしい。また、発送では著名人の講演やアイディアを活かしたクラフトショップなどが盛んに行われて、ここは自分も実に興味があるところなので是非、行って見てみたかった。


と言うものこの祭典は2009年から始まったものだが、かみさんはこのヴィヴィッドを既に2度も見ているのに自分は過去1度も見たことが無い。もちろん、今年もやっぱり見ることは出来なかった。たぶん、来年も見ることは出来ないだろうなと自分はこのヴィヴィッドを生で見ることはどうやら叶いそうにない。


朝、6時に目覚ましをかけたらしいが7時近くになっても起きて来ないので自分が起こしに行ったら、ハッとして飛び起きた途端に「何でもっと早く起こさない!」と自分のせいにしていた。慌てて空港に向かい何とかチェックインぎりぎりで搭乗することに。今頃は息子といっしょにオペラハウスに映し出された光のイリュージョンを堪能しているに違いない。

どうしたらいいのか分からない...

妹から思わぬメールが入った。先日、実家に寄った妹が父親との会話で自分が本当はまだケアンズにいたいという事を父親に告げたら「俺はまだ大丈夫だからケアンズにいたいなら無理に日本に帰らなくてもいい」と言ったそうで、「父親は私が定期的に見るからお兄ちゃん、いたいならケアンズにいても良いんだよ」という内容のメールだった。


さらに妹は自分が日本に帰って来ても仕事があるのか心配していた。60過ぎのおやじに満足な仕事が無いのは自分でも分かっている。だったらもしケアンズでやっていけるなら帰らずにそこいた方が良いのでは?という事だった。妹は自分が日本に帰っても苦労するのを心配していた。


それでも自分は父親の側にいた方が良いのではないかと考えている。妹は「自分の人生だよ。」と言ってくれたが。この1週間ずっと帰るか帰らないかで考えているが未だに結論が出ない。ここに残る理由はもう一つ、政府に借りた借金をこれから返していかなければいけない事。そんなにすぐに返せる金額じゃないので、最低でも後2年はここで頑張りたいと言うのもある。


もし、ここにいると決めたなら、ちゃんと借りる店を新たに決めなければいけない。今、借りている場所は早かれ遅かれいずれ出て行かなければいけないのは決まっている。市内で安い物件を借りるとなると相当狭いスペースになるので、今よりかなり譲歩した条件を呑まなければならないのは事実。帰るか帰らないか、どうしたらいいだろうか...答えが見出せない。