傾聴

昨日も母の夢を見た、何故だろう、最近よく母の夢を見る。早いもので亡くなって既に4年が経つが。 母は一度心臓の病気で入院したが、その後立ち直り元気に回復した。しかし再び心臓の病いが襲い二度と帰らぬ人となってしまった。生前に母が「最近、お父さんが俺より先に行くなよ」と口癖のように母に話すと言っていた。今はいっしょに入るお墓に母が先に眠っている。


看護婦だった母は80歳までその好きだった仕事を勤め、お葬式には多くの病院の関係の方や患者さんが別れを偲びに訪れてくれたのが母には何より嬉しかったのではないかと思う。 入院中の母の危篤の知らせを受けて直ぐ次の日の朝に日本に向かったが、ケアンズ空港で妹から「お母さん、もう間に合わないかも」と聞かされて心の準備はしたつもりでいたが、成田空港に着いた時に「お母さん、亡くなったよ」と聞かされた瞬間はどっと悲しさが込み上げた。


飛行機の中で沈む夕日を見ていたらその沈む直前に今までに見たこともないような紫色のきれいな光が雲間に広がり、後になってあの時に母は天に召されたのかなとフッと思った。そのことを火葬場の待合室で寺の住職に伝えると、「紫は高貴な色でその話を聞いてゾクッとした」と言い、良い話が聞けたと言っていた。 


入院していた鎌倉の病院で、母はいつも「苦しい、苦しい」と言っていたので、体を擦ってあげるともっとやってほしいと嬉しがった。付き添いの看護婦さんが「今日はとっても体調が良いんですよ」と言うんで、「実は母は80歳まで看護婦をしていたんです。」と返すと看護婦さんも驚いた様子で、横で聞いていた母が喜んでいたのが最後に見た母の笑顔になった。その後の手術で当日に手術室に運ばれて行く母の姿をずっと見送りながら、手術後は意識ははっきりしないままベッドに寝たままになり、それからは母は二度と笑うことは無かった。


本当はもうここから逃げ出して日本に帰りたい。コロナでも何でも罹ってもいいから日本に帰りたい。でもきっと仕事に厳しかった母だからそんな弱音を吐いたら「しっかりしなさい」と自分を叱咤するだろう。 ひとつだけ今はただ母の眠る墓前に立ちその叱咤する母の声をゆっくりと耳を傾けて聴いてみたい。