毛皮にされたコアラ

骨董品のように眠っていたコアラの関連商品がここに来て動き出している。絶対的なお土産品の王者として君臨していたコアラグッズもこの2年半の間、日の目を見ることも無くすっかり影を潜めて店の奥深くに眠っていたが再び脚光を浴び出している。やっぱりオーストラリアと言えばコアラなのだ。


そのお土産として最も人気を誇るコアラも今から100年ほど前は同じお土産でも酷い仕打ちを受けて来た歴史がある。この事実はあまり知られていない。 その昔、コアラはアボリジニーの大切な食料源だった。その証拠にコアラはアボリジニーの暮らしの一部として彼らの神話や伝説にたびたび登場している。因みに「コアラ」とはアボリジニーの言葉で「水を飲まない」という意味。


かつて1788年にヨーロッパ人が入植するまでは数多くのコアラがオーストラリアに生息していた。その後、入植する人が増えるにつれて集落が発達、森林伐採が進むとコアラの主食であるユーカリが失われいていった。そこからコアラは減少して行くが悲劇はそれだけではとどまらない。


ヨーロッパの入植者達は、コアラの毛皮は毛皮取引の資源になると考え、1930年代までに何百万匹ものコアラが毛皮目的のために捕獲され、1924年までにコアラは南オーストラリア州で絶滅、ニュ-サウスウェールズ州ではその数が激減し、ビクトリア州では500頭程まで減少した。この 時点で毛皮取引ためのコアラを捕獲する拠点は、クィーンズランド州ヘ移りるが、1919年、数が激減する中でもクイ-ンズランド州はコアラ狩猟に対しさらに6ヶ月の解禁期を 設ける酷い取り決めを施行してしまう。


その時期だけでも100万頭のコアラが殺され、その後は公式発表ではないもののコアラの禁猟が1927年まで続くが、再び解禁された時には、わずか1ヶ月程で80万頭ものコアラが毛皮のために殺されたという負の歴史が存在する。今は大切に保護されているコアラもお土産として毛皮にされてしまった過去があった。是非「そんなことがあったのか」と記憶に留めて欲しい。